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濃姫は毅然とした風情で語り出した。
「ただ──もしも、もしも私が平手殿と同じ立場ならば、同様に、自刃の道を選んだやもしれませぬ」
「…それは、何故の思いからだ?」
「忠臣として、殿のお気持ちに沿い続ける事の出来ない自分自身を、恥じるが故にございます」
信長の視線がゆっくりと姫から逸れ、再び天井に据えられる。
「殿の素行の改善も、駿馬献上も、五郎右衛門殿への説得も、ご自分と殿との関係修復も、何一つやり遂げる事が叶わなかったのです。會計審計服務
もし私が平手殿ならば、武士として、そのような不甲斐ない自分自身には耐えられませぬ。それも、老いたる身ならば尚更に」
「……」
「平手殿は、実力のない者、使えぬ者は容赦なく切り捨てる殿のご性分をよくご存じのお方にございます。
特に今の殿は、家督を継がれ、益々の躍進が望まれる大事の時。そんな中で、傅役の自分が殿の足枷(あしかせ)となる訳にはいかない。
長年お仕えした殿に、直に切り捨てられる前に、自ら身を引こうと──そう思われたように思いまする」
信長は姫の推測を聞きながら、冷めたような表情で天井を見つめ続けていたが、ややあって
「そちの推測はちと綺麗過ぎる。 …じゃが、確かにあの生真面目な爺ならば、そう思うたやも知れぬな」
その口元に、小さな笑みを広げた。
「されど、推測ではない、確かな希望も一つだけございます」
「希望?」
「平手殿が最後まで、殿を信じるお心を捨て切らなかった事にございます」
濃姫は繋ぎ合わせた切れ端の末尾に触れながら、穏やかに微笑んだ。
「“良き主君におなり下さいませ”──最後に書き添えたこのお言葉に、平手殿のお心が表れているように思います」
故人を偲びつつ、感慨深げに呟くと
「後は殿が、平手殿のお心にどうお答えになるかでございます」
そう言い置くなり、濃姫は立ち上がって、踵を返した。
「…どこへ参る?」
「寝所へ戻ります。殿も本日はお疲れでございましょう。どうぞ、ごゆるりとお休みなされませ」
姫は緩く頭を下げると、静かに歩を進めた。
「待て──」
信長の、小さいが張りのある声が姫の背にぶつかった。
「そなた、儂がこのような夜更けに、何の為にそなたの座所までやって来たと思うておるのだ?」
濃姫はえっとなって、軽く振り返った。
「この言い難き憂さを晴らしとうて、一日中馬で野を駆け、山々の草木を手当たり次第に切り倒して参った故、汗で身体中が濡れてしもうて、今はもう寒うて寒うて仕方ないのだ」
「…殿」
「そなたは儂の女房であろう。……夫の身体を暖めるくらいの事…してくれても良いのではないか?」
求めるような信長の目が、静かに濃姫を認めた。
姫はその面差しに、愛情深き笑みを浮かべると
「それが、我が夫君の御意であるのならば」
と、足早に信長の側へと歩み寄った。
すっかり冷えきった信長の身体は、濃姫のその華奢な身によって、熱く、そして深く、
朝日が御殿の屋根を白く照らすまで、長らく暖め続けられたのであった。
平手政秀の自刃から数週間後。
濃姫の居間の下座には、老女の千代山が招かれていた。