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呪符に文字を書き終えると、姫は自分の袿の袖を義久に引きちぎるように言った。
イダテンは怪訝な表情をうかべたが、意図を察した義久は、にやりと笑った。
昔、義久が肘をすりむいたとき、姫は同じことをしようとしたのだ。
そして先ほどのように「血(あせ)が……」と言ったのだ。
貴族が血を穢れとして嫌い、「あせ」と呼ぶことを初めて知った。
むろん、その時は、とんでもないと断りはしたが。
姫が、イダテンの額に鴇色の袖をあてた。
義久は自らの直垂の胸紐を切りとり、姫の袖がずれぬように巻きつけた。
「にあうぞイダテン」
義久は、イダテンが姫から受け取った血文字の呪符一枚を残し、奪うようにむしり取った。
三枚あった。
これだけあれば敵を攪乱できるだろう。會計審計服務
「おまえは姫様を守って先を急げ。やつらはわしが引き受ける」
イダテンは、義久の意図が理解できないようだった。
ささらが姫も同様に眉根を寄せた。
「なぜ、そのようなことを? 崖から風に乗せて流せばよいのでしょう?」
姫の問いに答える義久の額から汗がこぼれ落ちた。
「追手はさらに増えるでしょう」
イダテンが小さく頷いた。
今でこそ、様子をうかがっているが、動ける者も残っていよう。
殺傷力の弱い矢だということにも、すぐに気づくだろう。
イダテンに問わずとも見当がつく。
風切音の割に矢の速度が遅い。
鏃どころか矢羽さえついていないかもしれない。
闇の中だからこそ効果があるのだ。
問題なのは、その追手が馬で現れたということだ。
それは、崖崩れや焼け落ちた砦の残骸が取り除かれたことを意味する。
じきに、これまでとは比べ物にならぬほどの兵が押し寄せてくるだろう。
ならば、追手の足を止めるか、分散させなければならない。
もはや、イダテンが馬より早く走れるとは思えなかった。
「われらが山頂や峰にたどりつく前に、やつらは追いつくでしょう。といって、このあたりで風に乗せれば、川に落ち、血文字はにじみ、役に立たぬでありましょう……ならば、人が持って動き回り、ここぞという時に使うのが最良かと」
心配げに見つめてくる姫を安心させようと続けた。
「いざとなれば、谷底へ投げ込み、姫の後を追いますれば」
姫は首を振った。
「……そのような危うい真似は」
「なに、この姿です。先ほど同様、味方を装い、なんとでも言いくるめられましょう」
余裕ありげに笑って見せた。
「ですが……」
姫の目には脅えがあった。
足元に生えている小さな白い花を右手で摘んだ。
今の季節に花は珍しい。
花冠が星型に五裂したわびしい花だ。
姫の前に跪く。
和歌など添えればよいのだろうが、才覚もなければ作法も知らない。
扇の上に載せて差し出した、
その扇が小さく震えている。
情けないとは思うが、やり直しはきかない。
意味がわからず、とまどっている姫に、
「幸運をもたらす花と聞いています」
と、でまかせをいった。
適当な男だ、と自嘲する。
薬草として使われているだ。
邸に植えるような花ではないから姫は知らないだろう。
いずれ、知る機会があれば、義久らしいと笑ってくれるに違いない。
――そうだ。姫の前では、これでよい。
姫は、助けを求めるようにイダテンを見た。
だが、イダテンは腕を組んで一言も発しない。
この機を逃してはならない。
姫の目をひたと見据え注進する。
「この義久に……男としての働き場所を与えてくだされ」
イダテンが鬼神のごとき力を失ったと言っても、姫を背負って走ることはできるだろう。
だが、自分は違う。
足手まといになることは目に見えていた。
姫を危険にさらすわけにはいかなかった。
姫は、瞼を閉じ、迷うそぶりを見せた。
義久に合流する気がないことは薄々感じていよう。
このような目をしたときの義久が本意を翻さないことも。姫は、懐から錦の袋に入った細長いものを取り出すと、両手に乗せて義久に差し出した。
「ではこれを」
義久は、戸惑いながらも花をのせた扇を横に置き、衣で手を拭い、うやうやしく受け取った。
「これは……」
背筋に震えが走った。
形を見て懐剣だろうと思った。
だが、この手触りは間違いなく笛だ。
しかも、こたびのような大事に、邸から持ち出すようなものと言えば、一つしかない。
笛の名手であった姫の祖父が帝から下賜されたという『小枝』である。
「このようなものは……」
受け取れるわけがない。
「……預けるのです」